米百俵の精神
幕末維新の頃、長岡藩(新潟県長岡市)は戊辰戦争で敗れ、壊滅的な状況となっていました。
このとき、長岡藩の分家、三根山藩(新潟県西蒲区)から百俵の米が贈られることとなり、藩士たちは、これで生活が少しでも楽になると喜びました。
しかし、長岡藩の文武総督 小林虎三郎は、贈られた米を藩士に分け与えず、売却し、学校設立の費用とすることを決定。
当然、藩士たちは猛抗議。すると小林虎三郎は、
「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」
と諭し、この政策を実行することになります。
結局、百俵の米を売却し、書籍や器具を購入し、明治3年(1870年)に「国漢学校」を開校しました。
この国漢学校は、士族だけでなく、一定の学力に達した庶民の入学も許可され、ここから山本五十六元帥など、多くの優れた人物が輩出されました。
「米百俵」の話しは、目先の辛抱が将来の利益になるということを象徴する実話。
小泉元首相が、平成13年(2001年)の所信演説で「米百俵」を引用し、この話しが有名になりました。
選挙が近づくと、いつもこの話しを思い出します。
小林虎三郎のような、先のことも見据えた候補者に出てきて欲しい思うのと同時に、そんな人物を選べる有権者にもなりたいとも思います。
小林虎三郎「米百俵」の思想 (学研M文庫 R ま 2-2)作者: 松本 健一出版社/メーカー: 学研プラス発売日: 2001/10/01メディア: 文庫